『ACCORDING TO WHAT』は、即時的に繰り出される修辞や名辞、或いはクリシェに抗いながら日夜写真を撮り続けている写真家を取り上げ、「見ること」について思考するための足掛かりとなり得る「写真」を紹介していくシリーズです。シリーズ名は、美術批評家で詩人の岡田隆彦の同題の詩から名付けられました。その最終行にはこうあります。「すなわち、わたしたちは何によって何かを見ているのか。( That we see something according to what. )」。
今回は、福岡を拠点に活動している写真家・内野ゆきな氏を取り上げます。彼女はこれまで、マニキュアの剥がれた爪や髪をかきあげる指先の仕草などを至近で捉えたアブストラクトなシリーズ(「衣かさねて…」)や、世界各地の動物園のなにげない光景をジオラマのようにたんたんと、しかし淡く穏やかなトーンで切り取ったシリーズ(「動物園」)等、一瞬間のイメージのなかに情の出現と消失とが同時に垣間見えるような写真群を発表してきてきました。今回の個展においても、有情と非情のあわいに立ち、静かに事と物を見つめ続ける彼女の「閾における視線」を堪能できるはずです。
内野ゆきな(うちの ゆきな)
1967年佐賀県生まれ。九州産業大学芸術学部写真学科卒業。大辻清司に師事。主な個展に「衣かさねて…」(ギャラリーフロッグ、東京)、「動物園」(モダンアートバンクヴァルト、福岡)。グループ展も多数参加。2002年「大辻清司写真作品展」(福岡市アジア美術館、福岡)の企画・プロデュースを担当。写真集に「衣かさねて…」(アーム出版、1997年)、「動物園で」(福岡印刷出版、2003年)がある。
A2W series
・ACCORDING TO WHAT 03 SHINTARO YAMANAKA
・ACCORDING TO WHAT 02 SATOSHI UTSUNOMIYA
・ACCORDING TO WHAT 01 YOSHIHIRO TOSHIMA
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Through the Looking Glass: And What Alice(you) Found There
ガラスを抜けて、そこでアリス(あなた)が見たもの
「あそこにいるあの王様が目をさましたら、
おまえなんか――ボーン!――ロウソクみたいに消えちゃうんだ!」
とトゥィードルダムがつけくわえます。
「消えるわけないでしょ!」アリスは怒って叫びました。
「それにもし私が王さまの夢の中にしかいないのなら、
そういうあんたたちはなんなのか、ぜひとも知りたいもんだわ!」
内野ゆきなの「動物園」シリーズを見ていて、ふとアリスの話を思い出した。「不思議の国のアリス」の続編である「鏡の国のアリス(原題:Through the Looking Glass: And What Alice Found There)」でアリスは、霧のようになった鏡を通り抜けて鏡の中の世界に行き、さまざまな体験をする。そして、チェスゲームで赤の王様を捕まえたところで目を覚まし、この夢を見ていたのが自分なのかそれとも赤の王様なのかと逡巡し、この物語は終わる。
内野の継続中の写真シリーズに、柵や檻や水槽のなかにいる動物たちを撮っている「動物園」がある。そのうちの数枚はガラス越しに動物たちが写されているので、手前にあるガラスに木々や建物が微かに映り込んでいて、見るものに一瞬の戸惑いを与える。
たとえば熊の檻を撮った写真。肝心の熊は右下にある岩陰から少し顔をのぞかせているだけでよく見えないが、コンクリートの打ちっぱなしで作られた高い塀の奥に四角く窓枠が設けられていて、そこから赤ちゃんを抱えた夫婦(?)が熊を眺めている姿が見える。「窓枠=フレーム」に切り取られた家族。これだけでも十分おもしろい光景をなのだが、よくよく写真を眺めてみると上のほうに木々や建物が微かに映り込んでいて、ガラス越しに撮られた写真だと知れ、おそらく家族を切り取った「窓枠」と同じものがこちらにもあって、写真家はあの家族と同じように窓越しに眺めていてシャッターを切ったのだろう。
写真家の視線は、まずファインダーという「ガラス」を抜け、動物たちと自分とを隔てる「ガラス」を抜けて檻のなかの光景へと向かい、指がシャッターボタンを押すとその「光景=光」がレンズという「ガラス」を抜けてフィルムに定着する。さらに焼かれた写真は「ガラス」付きのフレームにマウントされているので、それを見る私たちは「ガラス」に映り込む自分の姿や照明をも見ることになって、写っているものと映り込んでいるものとの境目が曖昧になり、かつて写真家が撮った一瞬間と、私が見ている「今ここ」とが複雑に交錯する入れ子状態となる。
「ガラス」ではなくとも柵や檻越しにしか見ることができない動物園の動物たちを撮るという行為には、向こう側の世界に越えていきたいというアリス的な願望が垣間見える。「柵を越えてはいけません」という大人の理屈がわからないならば、自力で柵をよじ登り跳び越えることができないならば、こちら側と向こう側とを曖昧にする装置を見つけるしかない。彼女にとってその装置はカメラであり、ファインダーをのぞけば向こう側に越えていける。こどもの頃の空想遊び。
たとえば虎の檻を撮った写真。画面の左側には鎖につながれている大きな骨をこれまた大きな口で噛み遊んでいる虎の姿があり、画面の右側では至近でそれを眺めている少女がふたり。壁には「トラのバリバリタイム 土日祝11時から」という張り紙が貼られていて、この時がまさにその「バリバリタイム」だ。少女たちと虎の間には当然ながら分厚いガラスがあり、少女たちの顔が映り込んでいる。少女たちはガラスの向こうの光景をどう見ているのだろうか?
アリス…。少女…。以上のような連想の後、人の手足や仕草、重ねられた洋服の襞を至近で捉えたアブストラクトなシリーズ「衣かさねて…」を見る。すると、フェティシズムの現れという初見の印象は薄れ、好奇心旺盛な女の子が大人の世界に迷い込んできょろきょろとしている印象へと変っていた。スナップの写真群もまた…。
あなたはどう思いますか?
尾中俊介(art space tetra / A2Wシリーズ実行委員会)